- 平清水焼
平清水焼は山形市の東南、全山を松の木で覆われた千歳山の南麗に位置する平清水で興りました。
文化年間(1804~1818年)に同村の人丹羽治左衛門が他の土地から陶工を招き、千歳山の土をもって窯業を行ったのが始まりとされています。
千歳山の原土をベースとした粘土を使用し、其々の窯元が独自の作風を生み出してきました。
最盛期は30軒を超す窯元が存在しましたが、現在は2軒のみとなっています。
- 青龍窯
丹羽治左衛門の流れを汲む青龍窯は、明治時代に丹羽𠀋助を初代に開窯しました。
3代目丹羽龍之介が窯主であった頃に、平清水の“清”の字と龍之介の“龍”の字をとり屋号を「清龍堂」としました。その後、火を使う(窯を焚く)のに“さんずい”はない方が良いと考え、現在の「青龍窯」となりました。
時代の変化の中で、その時代にあった磁器・陶器を模索し続け、昭和20年(3代目窯主龍之介)に千歳山の原土に含まれている鉄分を活かした青瓷(青磁)釉を創り出ました。
それまで敬遠されていた原土内の鉄分をあえて活かすことで、まるで梨の表面の様な風合いが生まれ、これを「梨青瓷(なしせいじ)」と名付け青龍窯の代表作としました。その後、青龍窯の梨青瓷は昭和33年のブリュッセル万博にてグランプリを受賞することができました。
龍之介とその後を継ぐ4代目丹羽良知(りょうち)は新たに、春の山々に残る雪風景をイメージした「残雪(ざんせつ)」等を創り出し、更なる自由な釉調と土味を活かした焼き物を目指しました。
また良知は、青龍窯の窯主であると同時に陶芸家として自身の作家活動へも力を入れ「振分」や「線紋」等の独自の世界を土に表現し、晩年まで数々の作品を発表してまいりました。
現在は、5代目である丹羽龍平が窯主となり、6代目と共に地元山形の魅力を伝えるべく普段使いからご贈答品まで様々な商品を制作しております。
- 作風
青龍窯での製品づくりは、山から採取した原土を細かく砕くところから始まります。
その後、作陶しやすいように調合、寝かせの期間を経て成形へと移ります。
主に轆轤(ろくろ)成形による手作業によって製造を行っております。
地元の原土の特長を生かしたものづくりを行っており、土に含まれる鉄分を梨の肌の様に見せる「梨青瓷」や、器の表面に鉄分が滲み出ることで柔らかな白を表現し、東北の春の雪解けの山々をイメージした「残雪」等がございます。
(写真/上:残雪 下:梨青瓷)
※現在梨青瓷の生産を一時中止しております。再開時にはウェブサイトにてお知らせします。